第7回 冬の銀座「お多幸」にて――2000万円の逆風と、立て直しの決断
昭和29年――。
戦後の混沌と繁栄が交差する時代、私たち放送文化事業もまた、大きな試練の渦中にいた。
創業からわずか数年。順調に見えた歩みの裏で、新興財団の相次ぐ倒産により、総額2000万円(2025年で約2億円)を超える貸し倒れが発生する。
「東京デパート」「大進産業」など、主要スポンサーの経営破綻が相次ぎ、資金繰りは一気に悪化した。
当時の2000万円――それは、社員一人ひとりの背にのしかかるには、あまりに大きな額だった。
年の瀬も迫るある日。
会社には放送局や取引先からの集金人が殺到していた。
社内は混乱を極め、応対する余裕もない。
そこで急遽、指令拠点として選ばれたのが、銀座・和光裏手の老舗おでん屋「お多幸」。
社員は2階座敷に身を潜め、電話と連絡帳を手に、集金の指示を飛ばし続けたという。
――それは、まさに**“非常時”の指揮所**だった。
混乱の只中にありながらも、会社は一つの決断を下す。
社屋の移転である。
創業の地・銀座西六丁目から、港区佐久間町1丁目55番地の「和田ビル」へ。
ただの引越しではない――これは、崩れかけた経営をもう一度立て直すための、再生への第一歩であった。
トリビア:銀座「お多幸」と放送文化
- おでん屋「お多幸」は創業1923年。銀座の路地裏にありながら、実は多くの業界人の“隠れ家”だった。
- 放送文化事業が指令拠点として使ったのは、和光裏手の「お多幸本店」の2階座敷。
- 社員たちは、営業先から戻ってきた同僚と集金人が鉢合わせしないよう、細かく帰社時間をずらして調整していた。
次回につづく