「社長不在」の船出――創業者が選んだ肩書の意味
――昭和27年。
戦後の混乱が徐々に収まりを見せる中、放送文化事業は、東京・銀座の一角で静かに産声をあげた。
だが、その船出は、常識からすれば少々異色なものだった。
創立時、組織には「社長職」が存在しなかった――。
記録によれば、創業者である佐伯元会長が自らに課した役職は「常務取締役」。
企業の創立者が「社長」に就任するのが一般的な中で、なぜ彼はこの肩書を選んだのか。
その理由を、佐伯氏は後年こう語っている。
「まだ若い私が“社長”を名乗っても、会社の規模が知れてしまう。
それよりも“常務”という肩書で営業に出た方が、より実質的で中身のある話ができると考えたのです」
表面よりも中身を重んじる。見栄を張るより、信頼を得る。
そんな創業者の信条が、肩書一つにも色濃く滲んでいた。
昭和27年――「社長なき組織」として誕生した放送文化事業は、
その後の発展を暗示するかのように、実直で誠実な“営業の美学”を体現する企業として、静かに第一歩を踏み出していたのである。
当時の営業戦略トリビア
・「常務取締役」は当時、実務を担う経営幹部としての印象が強く、社長より“仕事をしている感”があった。
・創業当時は「社長」という肩書が重すぎる、という謙遜と計算のバランスが重要視される時代背景も。
・戦後の広告業界では、役職名より“動ける人”が信頼を得る風潮があり、佐伯氏の判断は実に合理的だった。
放送広告という、誰も踏み入れたことのない未開の海――
その荒波に挑み、舵を取ったのは、若き一人の常務であった。
次回、「ラジオ第3局」――業界の均衡を揺るがした、その開局申請の舞台裏に迫る。