創業の地・銀座にて――1952年、5人の志から始まった物語
昭和27年4月14日――。
日本が敗戦の痛手からようやく立ち上がろうとしていた、そんな激動の只中に、一つの灯火が銀座にともされた。
東京都中央区銀座西六丁目五番地。
その地に建っていたのは、かつて旧宮家・閑院宮家が銀座にお出ましの際、静かに憩うために用いたという日本家屋である。
その由緒ある木造の建物の二階。
ここに、放送文化事業の歴史は静かに、その第一歩を刻み始めた。
資本金はわずか100万円。社員・役員あわせて5名――。
しかし、その誰ひとりとして広告の世界を知る者はいなかった。
経験も、伝手も、成功の保証もない。あったのは、確固たる覚悟だけである。
彼らは朝まだきより動き出し、夜が更けても働き続けた。
どれだけ困難であっても、ただ前を向き、歩みを止めることはなかった。
――信じるべきものは、己の意志ただ一つ。
銀座の喧騒の中、その静かな志は、確かに熱を帯びていた。
やがてそれは、70年を超える放送文化の礎となる。
創業期トリビア
  • 銀座西六丁目は、現在の銀座八丁目付近(旧町名)
  • 閑院宮家は江戸時代から続く由緒正しき宮家であり、建物は気品ある和風建築であったと伝わる
――この志と行動力は、今も私たちの血潮として、脈々と流れ続けている。
次回、「時代の風が変わるとき――黎明期の時代背景」へと、物語は進む。